何かができて、何かができていないと思う必要はない。
この1秒に、ただ1秒の人生を生きているのだから。

百年の家 (講談社の翻訳絵本)

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 私の暮らしている家は、移築されて80年くらい経つらしい。移築される前を含めると100年以上昔の家だということを、このお盆に昨年末に逝去した父の弟、つまり叔父・・・から聞かされた。

 家の中は、さすがに建て付けの悪い建具ばかりだ。梁に歪みがあり、腰高の障子も閉まらないものもある。1階の天井にはもともと天井板がない。そのまま2階の床下の梁が見え、電線は2本ずつ、天井や壁の上の方を碍子に繋がれて這っている。階段は船のハシゴのように急で、上り降りのたびにギシギシ音を立てる。子どもの頃には「戸袋」があって、雨戸があった記憶があるが、それは今はサッシになっている。

 それでも、落ち着くなぁ、この家は。

 いつも大黒柱にもたれて座っているおばあさんがいる。あ、いや。この人は家人はおろか、私以外には誰にも見えない。時々、意味ありげなひとことを伝えるために私にテレパシィを送る。長男が生まれたときには「目に気をつけて。」としきりに伝えてきた。長男は特段目の病気をしたことはないが、今メガネ屋で働いている(偶然かな?)。次男、長女には特段何を伝えてはない。そのままでいいってことなんだろう。次男は専門学校をこの春卒業して、時間をかけて自動車学校に通い、就職活動をしている。まあ、それもいいだろう。長女は中学三年生。ひたすら元気で明るい。これは、まさにこのままでいいのだ。そういえば、おばあさんの姿をしばらく見てないなあ。

 私は、客先のお宅に訪問する仕事だ。客先の新しい家と比べると、たしかにこの家は古い。あたかもどこかの「郷土資料館」の展示物の中で過ごしているような錯覚を覚えることがある(いや、ないけど話の都合上あることにしておく)。もし本当にここが「郷土資料館」としてさらに百年後に残ったなら、見学客を亡霊となって、もてなしているだろうか。などと夢のようなことを思う。

 100年と一口に言うが、日本建築の場合、本当にまだあと100年でも建っているかも知れない。実際に数百年の木造の建物はざらじゃない。西洋の建築物で100年以上残っているのは、石造りの建造物だけだ。近代的な鉄筋コンクリートの建造物は50年が限度だろう。30年〜40年くらいで建て替えを余儀なくされる。外見は新しそうに見えても、修繕が追いつかなくなる。昭和49(1974)年に建てられた岩美町中央公民館も41年経ち、老朽化が進み、建て替えを検討している。何億もかけて、50年もたない・・・。なんだろうなあ。木造がいいなあ。