生と死と。

同級生とか、同郷とか、前に同じクラスだったとか、そういうことに実はあまり興味がない。それは、「属性」のひとつでしかない。
年齢についても、もしかしたら、人ほど意識していないのかもしれない。
生命はとても大切に思う。死を怖く思うけれど、生と死はいつもそばにいる同じ隣人のように思う。
死の怖さは、単にこの肉体がやがて感じるであろう痛みへの恐怖なのかもしれない。

1月3日、今日は日曜日。お正月も今日でおしまい。

暖かい。

深夜、部屋のストーブがついていない。

運動しましょう。ライフログ、リストバンドはあまりしたくないなあ。大きめなのを買って、足首につけるか。ベルトにつけるタイプもあるし。

著作権

Ameba Ownd: geo7に投稿した記事、谷崎潤一郎の「春琴抄」を読むでは、日本の著作権が作者の没後50年間は保護されることを書いたが、海外では、没後70年としている国もある。

Yahoo! Japanの時事通信の記事、「アンネの日記」ネット公開=著作権保護期間めぐり対立―仏によると、アンネ・フランクが1945年に亡くなって70年経つので、「アンネの日記」初版のオランダ語版を公開したが、作品がアンネの没後出版されたものだとして、著作権を保有するアンネ・フランク基金が反発していると報じている。

時々、著作権がらみで問題が起こることがある。作品に対する著作権の他に、著作者人格権や、作品の権利を相続する基金、団体、財団などの存在がさらに問題をややこしくさせる。問題は、誰かが、何かを侵害しようとしているわけではないが、侵害されていると感じる者がいるということだ。守るべきものは一体なんだろう。

人は守るべきものが、人の手に渡ったときに、「奪われた。」「傷つけられた。」と感じるのだろう。そこに「広く共有され、価値があるもの。」という観点はない。「守るべきものは、できるだけ長く守られるべきなのだ。」と考えているのだと思う。何を守るのか。むしろ手放したときに得られるものがあるのではないか。

著作権、そして共有するという考え方が今後もっと意味を持つのではないかと感じている。