古くからの船乗りの家には気圧計がある。我が家も元は船乗りの家だった。盤面のガラスは大きくヒビが入っているため、正確ではない可能性がある。それでも大切に使われていたんだと思う。船で使っていたものを、あとで家に置くために箱を手作りしたものと思われる。手動の針は錆びついていて動かないが、概ね現在の気温と気圧はわかる。気圧が下がっていると、天候がこれから荒れるのかなと思う。

 幼いころ、羅針盤も見た記憶がある。そうそう捨てるものでもない。家のどこかにはあるのだろう。現代はレーダーがあるし、なんでもデジタル化している。しかし、現代の機器は5年で陳腐化する。車だってそうだ。技術が高度になればなるほど、陳腐化するのが早い。高価なくせに消耗が早いのだ。このままでいいとは思えない。きっと、これからはシンプルなものが生かされる時代になるのではないだろうか。

 2016年(平成28年)12月31日、22歳の息子は、年越しそばを食べてどうやら蕎麦アレルギーらしき症状が発覚したらしい。発疹はどこにも見られなかったが、口の中のシビレ、吐き気、目の充血、悪寒等軽度だけれど、これは侮れない。以後はそばを食べないように注意することとして、1時間ほどで回復したようで一安心だった。高校1年生の娘は、冬休みの宿題があと数学が残り、これがなかなか片付かず、年越しで勉強する羽目に。実はこの二人を連れて除夜の鐘を聞きに摩尼寺に参ろうと声をかけていて、二人とも直前まで行くつもりだったのだが、このような状況で断念。22時50分、テレビは紅白歌合戦がなぜかシン・ゴジラとコラボしつつ、結末を見ぬまま一人で摩尼寺へ車を走らせた。

 澄んだ空には無数の星。雲もあるが、深夜、天候は晴れ。23時12〜3分頃には駐車場に着いた。303段の石段を息を切らせながら5分で駆け上がり、20分からの水行にちょうど間に合った。といっても、詰め所の手前の一斗缶の焚き火にあたりながらの見物ではあったけれども。居川さんを含めて5人の白装束の男衆が念仏のあと、水を頭からかぶる。メガネをかけた鳥大生の若い人が最後に手桶の水をかぶる。雪はないし、晴れ。気温は2〜3度くらいだろう。この時期としては極寒ではないが、いやー、なかなか。水行を見届けて、改めて手を清め、お賽銭を納め、本堂に手を合わせた。

 その後23時30分からは除夜の鐘。最初の20回くらいは詰め所の方が突いておられたのだが、参拝客も20人位はいただろうか。来た方々が突く番になると、不思議なもので一人ひとり鐘の音が違う。間合いも違えば、大きさも、響きも違う。

 この境内で2017年、新年を迎え、護摩木を300円で買い求める。「心願成就 音楽と平和 岸本みゆう 五十六」とマジックで書いて、本堂に上がる。護摩木お焚きあげに集まったのは7〜8人だろうか。若い方が多い。1時間ほど煙を浴びながら、この本堂で過ごす。いただいた御札は天台宗総本山延暦寺のものだ。「この御札は使ってください。身代わりになります。無くなることもあります。その時は何か災いを御札が代わったんだなと思ってください。決して仏壇や神棚に置かないでください。他の仏様や神様とケンカになりますので。」居川さんはそう言われた。

 帰り道、参道の山道でイノシシの親子に出会った。ここは人里近くでも山の中。鳥取砂丘も近い。それでも自然が身近にある。星空の下でいい年の始まりを感じながら、帰路に着いた。