腰痛

腰痛イラスト 私には持病がある。私と同じような持病を持っている人は案外多いのかもしれないが、慢性的な「腰痛持ち」だ。幸い椎間板ヘルニアにまで至ることはなく、入院経験は一度もない。
 症状は、仙骨が骨盤に片方だけ(私の場合、左に)沈み込んで、痛みを発症するというのが常で、痛みがあるときは、横になったら、起き上がることも、歩くこともままならず、寝返りも打てなくなる。どんな姿勢を取っても痛みがあって、少し動けば激痛が走る。恐る恐るなんとか立ち上がったとしても、バランスを崩すと痛みに耐え切れず、へなへなとその場で崩れてしまう。
 今回は、17日(木)の夜に発症した。感覚としては「中程度」の症状で、歩くことはなんとかできる。翌日金曜日の午前中は50キロ車で移動して、2時間レッスンをして50キロを移動して、そのままいつもお世話になっている明穂(あけほ)整形外科に駆け込んだ。
 明穂先生の施術とアイシングで、仙骨の沈み込みは解消されてずいぶん楽になる。痛みが消えるわけではないが、それ以上悪化することはない。これまでは、タイミングが合わなくて数日診察が受けられないこともあったが、今回は、発症した翌日であり、いつもより早く診療を受けられて「ラッキー!」と思ったが、その後が実は大変だった。土曜日は午後からレッスン。少しずつ痛みが増してきて、日曜日には一日中動けなかった。一度横になると、見える世界は床上10センチの世界のみ。トイレは這うようにして行き、ズボンをすっかりおろさないように注意して、一つ一つが気の遠くなる作業。歯磨きも前傾姿勢が取れないので、片手でちょっとずつ水をすくって口に入れ、洗面器を顎の下に当てて、垂れ流し。できることといえば、時々、本を読み、スマホやタブレットを触る程度。パソコンのキーボードも地上10センチの世界では操作できず、そもそも目の前にあるノートパソコンを持ち上げることが不可能だった。
 日曜日の夕方には、とても動けそうもなくて、月曜日も祝日で仕事をキャンセルして1日寝ていようと思っていた。火曜日にはもう一回受診してみようかと。
 その日曜日の夕方、ある方の助言を受けて、自分の回復力を試してみようと思い、「手当て」やいろいろなまじないのようなものを至極真面目にやってみた。誰にでも効果がある訳ではないだろうし、自分自身確証がある訳ではないので、詳しくはここには記さないが、今回はびっくりするほど効果があった。どんどん楽になって、人間には自分で癒し、治す力があるのだと改めて理解した。もちろん明穂さんでの適切な処置があったことが前提なのだけれど。
 「手当て」のやり方は、習ったこともないし、正式な「レイキヒーリング」とはおそらくかけ離れたものであろうが、イメージは「レイキ」だった。いろいろと試行錯誤しながら、最初は「痛みを念じて止める。」「抑える。」というイメージで動きが制限されていたので、片手で交互にやったが、うまくいかなかった。そのうち、「痛みを知る。」「感じる。」というイメージでやっていくうちに、時折、スーッと体の芯が温かくなる感覚が感じられた。そのうち、体全体のバランスを整えるというイメージが自然に浮かび、そこからだんだん痛みが引いていく感じがあった。
 結果、一日中寝ているはずだった月曜日に午前中目一杯仕事をして、午後も動くことができた。土曜日の夜と、昨日一日の地上10センチの世界から抜け出すという予想外の回復に健康のありがたさを身にしみて思った。
 予防は体のバランスと体力、筋力だなと今後はストレッチに加えて筋力もつけられるよう、楽しみながらできることを探してみようと思う。



霊感

私の霊的な感性は、十代の頃に部屋の中で揺らめく人魂(ひとだま)を見てからあったように思う。二十代で親しい友人の死を予知したことがあるし、東京にいて、郷里鳥取の地震を感じたことがある。足だけの霊や、走る車と同じスピードに感じられる窓の外を移動する「歩く人」を見たこともあった。何かしら異質なものを感じて、友人のデジカメからコピーした画像が、日を改めて見たらオーブだらけになっていたり、不思議な体験を挙げると数え切れないほどだ。

「私には霊感がある。」はっきりと公言したことはない。人にとってみれば、信用できないことだし、言うだけなら他愛もないことだと思う。

「私には霊感がある。」55歳の今まで、確かにそう思っていた。実際に不思議なことを経験しているのだから。

しかし、私には闇は怖くない。これまで闇に恐怖を感じたことがないのだ。たとえ、深夜の墓場のようなところにたった一人でいたとしても。それは、霊が見えるからことさら怖がる必要はないのだと自分で解釈していた。

実はそうではないことに今更ながらに気がついた。単に自分が特別な存在であることを意識したかったからなのだ。意識などする必要はない。そんなことをしなくても、誰もが特別な存在なのだ。そこに至るには、余分なものを脱ぎ捨てて、裸になる必要があった。本気で自分を見つめる必要があった。

この文章は世の中の霊能者を否定はしていない。ぼくはそうではないと気付いただけのことだ。これでやっと一人の人として生きられる。


生と死と。

同級生とか、同郷とか、前に同じクラスだったとか、そういうことに実はあまり興味がない。それは、「属性」のひとつでしかない。
年齢についても、もしかしたら、人ほど意識していないのかもしれない。
生命はとても大切に思う。死を怖く思うけれど、生と死はいつもそばにいる同じ隣人のように思う。
死の怖さは、単にこの肉体がやがて感じるであろう痛みへの恐怖なのかもしれない。

1月3日、今日は日曜日。お正月も今日でおしまい。

暖かい。

深夜、部屋のストーブがついていない。

運動しましょう。ライフログ、リストバンドはあまりしたくないなあ。大きめなのを買って、足首につけるか。ベルトにつけるタイプもあるし。

著作権

Ameba Ownd: geo7に投稿した記事、谷崎潤一郎の「春琴抄」を読むでは、日本の著作権が作者の没後50年間は保護されることを書いたが、海外では、没後70年としている国もある。

Yahoo! Japanの時事通信の記事、「アンネの日記」ネット公開=著作権保護期間めぐり対立―仏によると、アンネ・フランクが1945年に亡くなって70年経つので、「アンネの日記」初版のオランダ語版を公開したが、作品がアンネの没後出版されたものだとして、著作権を保有するアンネ・フランク基金が反発していると報じている。

時々、著作権がらみで問題が起こることがある。作品に対する著作権の他に、著作者人格権や、作品の権利を相続する基金、団体、財団などの存在がさらに問題をややこしくさせる。問題は、誰かが、何かを侵害しようとしているわけではないが、侵害されていると感じる者がいるということだ。守るべきものは一体なんだろう。

人は守るべきものが、人の手に渡ったときに、「奪われた。」「傷つけられた。」と感じるのだろう。そこに「広く共有され、価値があるもの。」という観点はない。「守るべきものは、できるだけ長く守られるべきなのだ。」と考えているのだと思う。何を守るのか。むしろ手放したときに得られるものがあるのではないか。

著作権、そして共有するという考え方が今後もっと意味を持つのではないかと感じている。

携帯電話


今、使っている携帯電話は、infobar A02 AO〈アオ〉。auの数年前のスマートフォンである。評判はいろいろだが、気に入っている。
ところが、最近やたら再起動を繰り返すことがある。幸い電話中に電源が落ちたことはないので、まあいいかなと使い続けてはいるが、いつまでもつのかなあと不安もある。しかし、これで買い換えたら、このデザインや使い勝手を手放すことになり、惜しい。何より、メーカーの思う壺だ。初代infobarの時も、オークションで本体を購入して、SIMとメモリーを差し替えて使ったことがあった。スマートフォンも同じように本体を別に買ってきて、使い続けられるだろうか。

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私たちは、未確認飛行物体(UFO)で訪れる宇宙人は「地球上よりも、高度な文明を持っている。」と想像しがちであるが、彼らが必ずしも私たちより高度な文明や豊かな感性を持っているとは限らない。いつだって、地球は奇跡的に美しい。私たちが想像する以上にこの地球(ほし)は、美しいのだと思う。



それ以上に奇異に映るのは、この美しい星の(彼らから見て)高度な文明を持ち、豊かな感性を持つ星の住民たちが、互いに殺戮し合う姿なのだと思う。それは、まさに得体の知れない恐怖を感じるのだと思う。彼らから見て、それが解明されない限り、彼らが私たちの前に姿を見せることはないだろう。そして、その時は、残念ながら、地球上の人類が滅びるまで訪れないのだと思う。

何かができて、何かができていないと思う必要はない。
この1秒に、ただ1秒の人生を生きているのだから。

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 私の暮らしている家は、移築されて80年くらい経つらしい。移築される前を含めると100年以上昔の家だということを、このお盆に昨年末に逝去した父の弟、つまり叔父・・・から聞かされた。

 家の中は、さすがに建て付けの悪い建具ばかりだ。梁に歪みがあり、腰高の障子も閉まらないものもある。1階の天井にはもともと天井板がない。そのまま2階の床下の梁が見え、電線は2本ずつ、天井や壁の上の方を碍子に繋がれて這っている。階段は船のハシゴのように急で、上り降りのたびにギシギシ音を立てる。子どもの頃には「戸袋」があって、雨戸があった記憶があるが、それは今はサッシになっている。

 それでも、落ち着くなぁ、この家は。

 いつも大黒柱にもたれて座っているおばあさんがいる。あ、いや。この人は家人はおろか、私以外には誰にも見えない。時々、意味ありげなひとことを伝えるために私にテレパシィを送る。長男が生まれたときには「目に気をつけて。」としきりに伝えてきた。長男は特段目の病気をしたことはないが、今メガネ屋で働いている(偶然かな?)。次男、長女には特段何を伝えてはない。そのままでいいってことなんだろう。次男は専門学校をこの春卒業して、時間をかけて自動車学校に通い、就職活動をしている。まあ、それもいいだろう。長女は中学三年生。ひたすら元気で明るい。これは、まさにこのままでいいのだ。そういえば、おばあさんの姿をしばらく見てないなあ。

 私は、客先のお宅に訪問する仕事だ。客先の新しい家と比べると、たしかにこの家は古い。あたかもどこかの「郷土資料館」の展示物の中で過ごしているような錯覚を覚えることがある(いや、ないけど話の都合上あることにしておく)。もし本当にここが「郷土資料館」としてさらに百年後に残ったなら、見学客を亡霊となって、もてなしているだろうか。などと夢のようなことを思う。

 100年と一口に言うが、日本建築の場合、本当にまだあと100年でも建っているかも知れない。実際に数百年の木造の建物はざらじゃない。西洋の建築物で100年以上残っているのは、石造りの建造物だけだ。近代的な鉄筋コンクリートの建造物は50年が限度だろう。30年〜40年くらいで建て替えを余儀なくされる。外見は新しそうに見えても、修繕が追いつかなくなる。昭和49(1974)年に建てられた岩美町中央公民館も41年経ち、老朽化が進み、建て替えを検討している。何億もかけて、50年もたない・・・。なんだろうなあ。木造がいいなあ。