霊感

私の霊的な感性は、十代の頃に部屋の中で揺らめく人魂(ひとだま)を見てからあったように思う。二十代で親しい友人の死を予知したことがあるし、東京にいて、郷里鳥取の地震を感じたことがある。足だけの霊や、走る車と同じスピードに感じられる窓の外を移動する「歩く人」を見たこともあった。何かしら異質なものを感じて、友人のデジカメからコピーした画像が、日を改めて見たらオーブだらけになっていたり、不思議な体験を挙げると数え切れないほどだ。

「私には霊感がある。」はっきりと公言したことはない。人にとってみれば、信用できないことだし、言うだけなら他愛もないことだと思う。

「私には霊感がある。」55歳の今まで、確かにそう思っていた。実際に不思議なことを経験しているのだから。

しかし、私には闇は怖くない。これまで闇に恐怖を感じたことがないのだ。たとえ、深夜の墓場のようなところにたった一人でいたとしても。それは、霊が見えるからことさら怖がる必要はないのだと自分で解釈していた。

実はそうではないことに今更ながらに気がついた。単に自分が特別な存在であることを意識したかったからなのだ。意識などする必要はない。そんなことをしなくても、誰もが特別な存在なのだ。そこに至るには、余分なものを脱ぎ捨てて、裸になる必要があった。本気で自分を見つめる必要があった。

この文章は世の中の霊能者を否定はしていない。ぼくはそうではないと気付いただけのことだ。これでやっと一人の人として生きられる。


見えるものの違い

人は、時の経過によって、まわりの風景が変わっていくと思い込んでいる。
しかし、実際は、意識の違いが、まわりの風景を違って見せているだけ。

それは、人の成長によるものでも、時代の移り変わりでもない。

私は以前、霊感が鋭いと自分で思っていた。

霊的な現象には何度も出会った。透き通る足だけが動いているのを見たり、
走っている車の窓の外に同じスピードで歩く人の姿を見たりもした。
人影のない暗い空間を見つけると、すぐにその場所に意識を移動することができた。
見えるはずのないものを見て、それを的中したりもした。
それが友人の死だったこともあり、心を痛めたこともあった。

自分自身で、何となく、その理由はわかっていた。

意識がそれを見せているのだと。
意識というのは、ラジオのようなものだ。
通常は年齢によって、生物によって周波数が違う。
しかし、その揺れ幅は個体によってまた違う。

それをある程度コントロールできると、霊的なものを見ることがある。
意識レベルを極限まで下げることができれば、霊的なものは
たやすく見ることができる。それが出来たところで、実際には
何の役にも立たない。霊的なものが「見える。」ことは、特別な能力ではない。

本来これは、本能的な危機管理能力として、自然に持っているものだ。

もし、自分で霊感が強いと思っている人がいるのなら、
意識レベルを高く保つことを続けるといい。

音楽や、さまざまな芸術、文学に触れることもいいだろう。
悩み、思考するといいだろう。

霊感をそのまま活かそうと思わなくていい。
それは、意識レベルの振れ幅の大きさを感じているだけだから。
むしろ、意識レベルが低下したときの状態に過ぎないのだから。